まるで菜箸

野菜の芯まで火が通っているか菜箸を刺して確認するように、自分の芯まで思考が通っているかブログを書いて確認します。

11/25

ブログから1カ月半ほど遠ざかっていた。

その理由は、迷わなくなったからだと思う。

ふっきれた。

 

別にいいじゃない。無能でも。

回路オリエンテッド

今は結果が出なくて、無能だったとしても、

いつか何か小さな価値うめる。

 

とりあえず、なんか変なことをしてたいから、それを一個一個形にしていくだけ。

いつか自分の仕事とか、人生とかに活きてくるさ。

活きなかったら活きなかったで、いーじゃないか。

 

でも、最後の最後、死ぬときに、

俺は葬式でちゃんと凄いことするから。

事前調査ではウケがかなりいいので、メディアも呼べちゃうかもね。知り合いとか呼んでね。

つまり、生きてる間にどんなに辛いことがあろうと、一発逆転あいつはヤベェって死に際に思わせられる確信が割とあるんですよ。

だからその時点でもう僕の承認欲求は満たされてるし、余裕。

 

もともと右脳な人間なんだから、論理でごちゃごちゃ考えてねぇで、直感信じて進んでみなさいって話。それをあとから左脳で埋めていったら、こんなことかもねー、でいいのさ。

 

そーいえば、人に優しい人を条件に、人をセレクションする人がいた。そーゆー左脳の使い方、あまり好きになれないなあ。でも、その人はとてもいい人何だと思う。分かりづらいだけで。尊敬もしてる。でもやっぱ、最後まで判断をずーっと理性に預けるのは、行動としては暖かい行動だったりするのだけど、何だかちょっぴり冷たく見えちゃうんだよなぁ。損してる気がするなぁ?

 

何がいいたいか忘れたけど、

違和感を大事にしよーっと。