まるで菜箸

野菜の芯まで火が通っているか菜箸を刺して確認するように、自分の芯まで思考が通っているかブログを書いて確認します。

6月17、18日

休日に作業ってよろしくない。何がよろしくないって、ダラダラやってしまう。時間区切ってガッとやる方式にどんどんシフトしていかんと。そう考えると休日は予定をうまく詰め込んで、作業できる時間を区切った方がいいのかもしれない。強制的に縛る。

いい休日だったとはあまり言えなかった。足踏みしただけの休日。

6月16日

自分の好きなものジャンルが、スポーツと最先端とお笑い、という3つの大カテゴリーに集約されることに気付いた。

この3つの共通点ってなんだろう・・・

今まではアーセナルとかミクロなものの間で共通点を探していたが、
広く大きなカテゴリー間の共通点を考えてみても面白いかもしれない。

新しいデコンの視点。

それはさておき、今からvvvv。非常に楽しみである。

6月15日

人の価値×時間=会社の資産。という構造を再認識した。いたずらに時間を過ごすのは、害悪でしかない。いたずらに人の時間を奪うのは、さらに害悪。

時間をうまく組めない人は、自分がやりたいことを考える時間とか、そんな暇もなく、1つの歯車となって、死ぬ。

時間の使い方は、その人の意志の強さの表れでもあるように思う。自分の時間を安く売らないし、人の時間を安く買わない。

そうすることで、自分のやりたい事とか、そういう話を考える時間ができる。

必須のスキルだ。

6月14日

理想像を、具体的に明文化している人が、あまりいなかったこと。その人達は、なんとなく進みたい大きな方向性をザックリイメージしながら、近い目標を立ててモチベーションにして前に進み、多少の揺らぎを受け入れながらむしろその偶然性を楽しみながら、なんとなく自分の望んでいそうな方向に、流されて行くようだった。

遠い理想像を明確にするにしても、近い目標を積み上げるにしても、どちらにしても共通しているのは、常に先の事を考え続け、偶然性に刺激を受け続けながら、モチベーションや理想をアップデートしながら進んでいる。

そう思った。

6月13日

前回の更新から2週間も経ってしまった。あっという間の2週間だった。前に進めない1週間があった後、向こう3年間の道が決まり、あれよあれよという間に1週間がたった。やりたいことが見えかけた、と思っていたあの時から、2週間。その間に感じたことを書く。

個人的敗北からの1週間は、敗北を引きずった1週間だった。とにかくなんでも否定してしまう。自信がないから。これもだめ、あれもだめ。潰す理由ばかり見つけて、伸ばす道を探らなかった。理由は自身の無さだけではない。結局何がよくて何がダメなのか、その基準がまずなかった。理想に対して今何をすべきかが明確でないから、こうしたらどうか?という提案に値踏みができない。

悶々とした1週間を経た後は、あっという間の1週間。まずはすべきことをちゃんとこなせるように。そのうえで、自分の色をどう出していくのか。何のプロになるのか。を意識しようと。それは、この先、1人でも生きていけるようになるために。一方で、焦らず今はできることに徹してたら、いつか自ずと見えてくるとか、いろんな人が色んなことを教えてくれる。そのたびに思うことが入れ替わる。日替わりの価値観。そんな時、同期との会話で、流れのままに軽い応対をした。そのとき、ヤバいなと思った。自分の言葉で語っていない自分がいる。そんな感覚があった。結局この1週間、様々なことを吸収して学ぼうとした結果、否、様々なことを吸収して学んでいる自分を見せたいがために、全員の意見をトレースしているだけで、自分の考えが消失していた。その場その場に合わせた一貫性の無い会話をするマシーンになっていったような気がする1週間。

やっぱり、やりたい事もそうだし、なりたい自分をちゃんとイメージしないと、影響されやすい私は、すぐ浅はかな行動に出てしまう。
なりたい自分があって、そことのギャップがあって、それを埋めるために必要なことがあって、それをどう解決していくかがある。これを意識しないと、漫然と時を過ごし、プラスアルファを産めない、プロとして市場価値を提供できない、生きていけない人になってしまう。そんな危機感を抱いた。

じゃあ、おれはどんな人になりたいんだろう。

人がやりたがらないようなことや避けている物事の面白さを、世の中に浸透させるような人になりたい?

世の中に新しい議論を生むような人になりたい?

今までは、自分のやりたい事を考える、ということが目的となり、それは何のためにあるのか、の視点が弱かった。自分のやりたいこと、自分の好きなことや人から、自分がどうなりたいか、何のプロになりたいかを考える。それは自分が市場価値をもった人間になるため。生きていくため。

なりたい自分を考えていくが、どんななりたい自分であろうとも、自分が思ったこと考えたことを人に伝える能力が私には欠如している。
複雑な言葉や抽象度の高い言葉を、端的に短く説明する練習をしよう。言葉だけでなく、いろんなもので伝えることができるよう、絵とプログラミングの勉強を掛け合わせたものとして、vvvvで遊んでみよう。

ということで、これから毎日必ず、なりたい自分像、もしくは好きなものの活動報告と深堀、もしくは抽象的な話の言語化、もしくはvvvvについて、ブログを更新することを目標にする。

5月28日

負けた。

仲間にも、自分にも。

敗因は明確。

個性を出そうと、アウトプットの新奇性に逃げたから。

クリエイティブですらない。珍しいことをするだけ。

それをする説得力も全く考えられず、

結局また自慰してしまった。

最終成果物で、それまでに感じていたことが活かせない、

成長がない失敗。

辟易。

 

 

改めて、自分を見つめなおして、

考えを整理した。

 

 

まず、そもそも

俺がやりたいことって何なんだろうか。

俺らしさって何なんだろう。

デコンを続けて考えてみた。

 

 

自分は、

1つの価値観しか認めないという空気が嫌いなのかもしれない。

こういう価値観も認めようよ!と、世の中に反旗を翻したいのかもしれない。

マイナーも認めてよ!王道にすがってないで、是非を議論してよ!

1つの価値観を押し付けないでよ!

そんな思いを叶えたいのかもしれない。

 

アーセナルが好きなのも、

サッカーの中身の美しさにこだわり、

クラブの姿勢として義理人情を感じさせるところが、

世のメガクラブにはびこる、金による勝利主義へのアンチテーゼとして、

 好きなのかもしれない。

 

下ネタが好きなのも、地下クイズ王選手権が好きなのも、

世の中でタブー視されているものに対して、

誰が言っちゃダメと決めつけたんだ!

マイナー、不気味、気持ち悪い、そう思われてるものも楽しめるんだ!

そんな気概を感じて好きなのかもしれない。

 

シュールギャグ漫画が好きなのも、

トーリーや話の流れ、文脈なんてものを取っ払って、

不条理で、ぶっとんでて、それでいても

楽しめるんじゃないか?笑えるんじゃないか?

という挑戦的な姿勢が好きなのかもしれない。

 

拡大解釈すると、

俺が好きな思考は、

「~するべきだ」ではなく、

「~してもいいかもしれない」、

かもしれない。

 

だからこそ、より不確定な遠い未来を夢想したり、

あり得る世界への問題提起をしたり、

スペキュラティブデザインとか、

実用化にはまだ遠い研究とかに、

興味があるのかもしれない。

 

かまってちゃんというよりも、決めつけることを嫌うのかもしれない。

飲み会に行くのがふつう、というメインストリーム以外の考え方も、

認めてほしかったのかもしれない。

 

なんで、こんな「~かもしれない」大好き人間になったのかというと、

親に褒められることもなく、価値観を押し付けられ続けた反動なのかもしれない。

クラスで中心人物になれなかったことへの嫉妬なのかもしれない。

とにかく、君とは違う考え方かもしれないけど、認めてほしい。

そんな思いを叶えたくて、行動しているのかもしれない。

 

 

これが、今の、自分がやりたいこと、叶えたい事の仮説。

 

 

だから俺らしいアウトプットっていうのは、

あるメインの価値観に対して、

「こういう価値観もあるかもしれないよ」

と投げかける、それを認めて議論したり考えてもらうような動きを作る、

そんなものなのかもしれない。

 

 

じゃあ、どうやって、大正義を信じる人に、

「この価値観もあるかもしれないよ」

というのを認めてもらうか。

ここにいつも敗因があり、

今回もここだった。

 

 

まずは、相手をよく知ること。

相手というのは、目の前の相手と、その先の相手。2つある。

一番、「~かもしれない」と考えてもらいやすいTPOを考える。

これは先日の大兄貴のお話。

グレーゾーンを作るなら、TPOわきまえないと。

そして、

分かりやすく、分かりやすく、分かりやすく伝える。

これは避暑地でも先月末にも言われたこと。

目の前の相手も、その先の相手も、

全て置き去りにして自分語るのは、それはオナニー。

自分も気持ちよく、相手も気持ちよく、

セックスしなきゃならん。

 

 

今回も敗因はここにあった。

TPOをわきまえず、相手の状況を無視。

伝えたい事ばかりが先行し、

何言ってるのか分からない状態へ。

ただの、意味不明な言語で叫ぶ反体制デモと化した。

 

 

ここまで整理してきたが、大事なのは、

さぁ、じゃあこの先どうするの?というお話。

 

 

絵を書く練習、プログラミングは、

分かりやすく伝える、ツールを増やし、磨くため。

 

本や映画をデコンするのは、

分かりやすく伝える言葉というツールを磨くため。

そして、あらゆるものに対して、自分の「~かもしれない」を持つため。

 

相手のことを考え、TPOをわきまえる練習は・・・?

・・・。意識するしかないのか。

2017年5月20日

この4月から正社員として働き始め、
早くも1ヶ月以上が過ぎた。

幸いにも、希望職種へのレールに乗って、
研修を受けに受けに受けている。
目の前の課題に必死の毎日。

先輩方がよく言ってた、
「目の前の仕事に追われ、自分の野心を見失いそうになる」
という言葉への理解が、残念ながら深まった。

・・・あれ?そもそも
俺の野心って、なんだっけ?

先日、入社前から慕っている先輩とお話させていただいた。
俺は何を求めてこの会社に入ったのか。
何年後にどうなりたいのか。
そのために今、どーゆータグを自分につけたいのか。
主題はこのあたりだったと記憶している。


自分なりに思っていることを話した。
親に認められない話を出発点として、
色んな物事に対して、まだ知られてない価値を伝え、より多くのものを世の中に認めてもらいたい。
と結論づけた。

その先輩が言うには、
違う。お前はまだ何かに遠慮している。
ブログ書いてみろ。自分をもっと掘れ。
と。

遠慮した覚えは無い。が、
確かにちょっとカッコつけて、本ではない気はする。
俺ってそんなに優しい人だっけ?
社会への貢献とか考えてた人だっけ?

もっともっと本音のところでは、
何らかの形で自分をより多くの人に認めてもらいたいだけじゃないの?
だとするならば、俺はこの会社に入ることで、その野心がもう完遂されたことになってしまいかねない。

うーん。困った。
野心の見直しが叫ばれた。

その翌日、
俺は、プレゼンで、どちゃくそ滑った。
恐怖でしかなかった。
自分が何を喋っているのか、
また、何を喋るべきなのか、完全に見失っていた。
惨敗。

誰もやらないであろうことを、敢えてし続けることで、
存在感を高めようと企んだ。
この企みの続行に、黄色信号どころか、赤信号点滅状態。

その夜、前から楽しみにしていた凄い人との会合が。
今日は俺の日じゃない。いいことは起こらない。
気張らず望んだ。

…すっげぇ、良かった。

俺が貫くべき正義は、
俺の好きなものや、俺の憧れをデコンすることで見つける。

俺が好んでいる、
価値を認め合う、AともBとも言い切りすぎない、
グレーゾーン作りは、TPOに合わせて行なう。
グレーゾーンを作る味方を増やすために。

様々なお話をお聞きしたが、
俺にとってはこの2つが心に残った。

特に1つ目について、
そのデコンの場のために、
このブログを始めた。

ということで、
デコンの途中経過。

親に認められないことへのショックから、
色んなものが認められる世の中を作りたい、というよりも、
認められない、相手にされない、
ということへの恐怖が自分のエンジンなのかもしれない。

こんな俺を認めて欲しい、のではなく
自分を変えようが、演じようが、
人がやらないことをして、とにかく相手にされる。
そんな指向性がある気がする。

自分の意見が雑誌に掲載されるレベルで好きなアーセナル
好きな理由の1つに、
芽がなかなか出ない選手に対しても、相手にし続けるところがある。
しつこく起用し続けたり、ポジションコンバートしたり。
はっきり実力を認めたわけではない。
でも、可能性を諦めない。相手にし続ける。
そんなところが好き。

相手にされたいという、かまってちゃんな原動力を広げて解釈すると、
常に人々の話題になり続けるように、自分はなりたいのか・・・?
だったらもっと飲み会とか行くはずなのに・・・?
まだどこかズレている気がする。

また考えよう。